「そして、涙は海になった」略称:ティアシー

プロローグ

 彼女のことを思い浮かべる。
 決まっていつも、半信半疑かしらね、という冷たさの入り混じった視線で。僕のことを、目を細めながら。どこか斜に構えたように眺めている。
 その独特の表情が憎らしくて。あるいは、すでにもう、隠しきれないほどにまで愛おしくて。僕は、気がつけば、彼女の瞳に心が吸い込まれそうになっているのを感じる。
『おお、おお、ずいぶんとお熱いねえ』
 もーっ、ティムっちゃん、日記書いてるときに脳内会話で割り込んでくるの禁止っていったじゃん。さすがの俺でも恥ずかしいぞ。
『悪ぃ、ついだよ、つい。お前は俺でもあるんだからさ、おまおれってやつな』
 なーにがついだ、一緒にするなよー、と"考え"ながら。僕はその皮肉的な事実に同意するしかなかった。
「なるほど、確かに?」
 ふふん、と笑みを浮かべてみせる。ラノベの主人公もかくやって感じで。読み始めてまだ1枚かそこらでもうメタ発言ーってか。やれやれ。僕はテーブルに置いていたコーヒーを飲んで、軽くひと息入れた。
「んだよー、せっかく日記書いてたってのに。ティムっちゃんプライバシーって知ってる? そういうの大事だと思うんだけどなあ」
『今さらかよ。四六時中ずっと一緒にいるんだから気にしなさんな。それよかさお前』
 脳内にしか存在しない彼が、それでもずいっと身を乗り出すのを感じて。僕は身体をのけ反らせかけ、我がひとり芝居に困惑した。
『ザヴァツキ、エリィのことそんな風に思ってんならさっさと告っちまえよ。そのほうが任務にも好都合だろ、チームなんだしよ』
「あのねぇ。いくらおまおれでもいっていいことと悪いことがあるだろ。エリィのことを俺たちがどう思ってたとして」
 今度は、ザヴァくんが身を乗り出す番だ。
『任務だから、みたいにいわれたくないな』
「それは僕の台詞なんだよなあ」
 思わずため息をつきながら。生真面目さでは群を抜いてると自他ともに認める性格を嘆かないでもなかった。はーいはい、ティムっちゃんほどぐいぐい行かないもーん。
『人のこと何だと思ってんだ。ま、いんじゃね、あくまでも身体の主導権はお前が握ってるんだから、さ。ご相伴にあずかるとするか』
「だーかーらー、そういうとこだぞっていってんの。そもそもさあ」
 マグカップの冷めきったコーヒーの残りをひと息に飲み干してから、どんっ、とテーブルに置いて、僕はティムっちゃんに問いかける。俺たちの一大事なんだぞ、の剣幕で。
「彼女の、気持ちは?!」
『……』
 無言かよー。何でだよー。まさにやれやれじゃんか。今、少し期待しちゃったよ。ティムっちゃんなら、こんな僕でも颯爽と背中押してくれんじゃないかなーって。ぜんぜんじゃん。この流れ何のためにあったの。
『書けよ、日記』
「やだね。後にする。もう寝るわおやすみ」
 そんな言葉を紡ぐたびに。僕は小さく心が軋むのを感じざるを得なかった。おやすみなんて、おはようなんて。こんなに頻繁に口にするの超久々じゃね。ああ、今"俺たち"みんなで、こうしてこのセントラルシティで任務に就いてんだよなあ。感傷に浸っちまうな。
「デイドリーマー、モーニングコールを明朝8時ごろに設定。二度寝しないようスヌーズつきで頼む。モニタしてた今の流れは秘密な、エリィにバレたら超大変なことになるから」
「承知しました、ザヴァツキ、それはもう」
 何がそれはもうだよ。ぜってー聞いてたし、何なら笑ってたまであるし。はぁー。
(彼女の、気持ちは?!)
 それがわかれば苦労しないんだよなあ。いつの間にか眠りに落ちていた。
 セントラルシティの防衛任務に就く戦士の朝は早い。日々のよしなしごとに頭を痛めてる暇なんて、実際そんなにない。
 今日も今日とて、明日も明日とて、任務に引っ張りだこの毎日だしな。
 就寝前の戯言にしてはやたらかしましかった男二人の脳内ダダ洩れラブコメトークが消えると、部屋の静けさがやけに耳についた。
 彼女のことを思い浮かべる。
 油断したときにだけふと見せてくれる、素直さが宿った優しい笑顔を。ピンク色の長くてさらさらの髪を。きらめく薄いシアンの瞳を。いつしか深い眠りのさなかにあった。
 ばったりとベッドに横になって眠るのは、確かに、ザヴァツキと名乗る青年ひとりのようだ。それでいて、傍目にはまさしくもひとり芝居としかいいようがない、悪霊にでも憑かれたような言動はどうだろうか。
「……」
 すべての有意義な情報が、おしなべて電脳世界に存在し。いわゆる現実世界とされていた場所にはすでに、それらを維持する最低限度の設備しか存在せず。それでいて、その施設を維持管理するリソースを奪い合うべく、管理AI同士の争いが絶えない遠未来。
 デイドリーマーと呼ばれた存在は、森羅万象が実存主義的に思えば定まるとされる世界の法則に基づいて(それでも、あまりにも理不尽なことまでは起き得ないとされる)二人の睡眠を妨げないよう、そっと見守っている。

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