さながら元素のように僕らは出会った 第一章 闇夜のなかを、小型の宇宙船が一機、不安定に機体を傾けながら低空飛行していた。 コックピットに、耳障りな警告音が鳴り響いている。不安を呼び起こすような音と、ディスプレイに明滅するいくつもの赤色の警告メッセージの羅列を、詳細に確認するまでもない。船の不調は明らかなのだ。 「ったくもう、うるさいわねー」 ひとりで座席に座った彼女は、いつになく重たくていうことを聞かない操縦桿を、なだめるように手動モードで操作する。レーダー画面を凝視し、都合のいい不時着のための場所をすばやく探していった。 地面を示す座標軸が、ぐんぐんとモニターに拡大されていく。重力に引きずられて傾いた宇宙船の姿勢を立てなおそうと両腕に力を入れ、力任せに操舵するものの、もはや修正は難しいように見えた。 次の瞬間。レーダーの補足音とともに、ディスプレイにはっきりと表示された緑色に瞬くアイコンが目に入ると、彼女の全身に驚きが広がった。 「あ、あぶなっ……」 間違いない。その、特徴的なシルエットは……人間だった。 当番となっている、お決まりの退屈な巡回警備のコース。それでも、何が起こるか分かったものではない物騒な昨今だ。彼は、真剣に道筋をたどっていた。 雲が多く、月も星も出ていない林道を、馬を駆りながら足早に移動していく。集落と郊外の森とを隔てる、外周に位置する部分である。遅い時間にはこうして人の姿こそないものの、十分な程度に整備されており、原野にはない文明の気配があった。 ふと、目の前の地面に、それまでにはなかった自分自身の影が濃くはっきりとゆらめいたのを感じて、彼は馬の手綱に力を込めて歩みを止めた。 「……何だ?」 背後の空の、一点を凝視する。最初はごくわずかの違和感しか感じられなかったが、次第に、音と振動と光がゆらゆらと揺れながら大きくなっていった。 何事だろうか。そう思う間もなく彼は馬を急かすと、怪しげな光が向かっている先へと併走した。 「奴らの船か。これは落ちるぞ」 高度を下げ、背の高い木々の先端を折りながら傾いて飛ぶ対象を、見失わないように追いかける。忌避するようにいななく馬を、手綱を引き締めて踏み止まらせた。 彼の二つの瞳が、無意識のうちに、ぼうっと青白い光を発していた。闇夜に浮かぶその様子は、夜行性の獣を思わせた。 周囲の光景が、急に速度を失い、ゆっくりと進むように見えてくる。警戒心により極度に高められた集中力が、初めて目にする宇宙船の無骨なフォルムを明確に捉えていく。 何事もなしでは、済まないだろうな……。そんな確かな直感が、はっきりと頭をよぎった。変わっていく。何もかも。一瞬、ひどく悪い予感がして、船から目をそらして集落の方向を見る。幸いここからは相当な距離があるため、火の手が上がっても燃え広がることはないだろう。そう、思った矢先だった。 地表に最接近した宇宙船が発する轟音と、光と熱、排気の異様な臭気に恐れおののいた馬が、両前足で空をかき乱しながら、乗っていた彼を弾き飛ばして暴走したのだ。 注意がそれていたため、手綱を手放してしまった。それに気づいた時には、激しい衝撃とともに地面に叩きつけられていた。 「ってて……あの野郎、こんな時に」 うめき声とともに、身を起こそうとする。だが……彼も、この星の特異な血を濃く受け継いだ人間だ。悪い予感は得てして的中するものなのだった。 間近で、耳をつんざく轟音。急制動のための強力な逆噴射の熱風が、青くて短い髪をばさばさとはためかせる。ひどく傾いた機体のバランスを何とか立てなおそうとした宇宙船が、今まさに、頭上めがけて降下してくるのを、彼はなすすべもなく見つめていた。 船の底面が地面と接触する重たい衝撃が、最先端のテクノロジーによってすら軽減しきれずに、コックピットに至るまで駆け抜ける。慣性で地面を滑っていくぐらついた揺れが収まると、やっとのことで停止した。 安全ベルトを弾き飛ばし、操縦席からひらりと身を起こすと、彼女は本来であれば必要なはずの「服装の偽装」もそこそこに、船内の通路をすばやく移動し、ハッチを跳ね開けて船外に飛び出した。 ギャラクシーレギオンの正式なユニフォームのひとつ。最新鋭の高度なテクノロジーによって作り出された、快適かつ身軽に動くことができる精密な仕組みのすべてが、コンパクトに収納されている。やや露出の多い、シンプルかつスポーティーなデザインの服装にしか見えないこともない。もしかしたら、テクノロジーとは無縁の、この惑星アディオスの住人から見ても同様だったかもしれなかった。 「あっちゃー。こりゃまた見事にやっちゃったわね……」 心配していたとおりのことが起こっているのを目視でも確認すると、彼女は困惑のため息を漏らした。 地面をえぐるようにして、宇宙船が滑った軌跡が残っている。衝突地点から、最終的に停止した場所まで引かれているその溝の最初のほうで、ひとりの若い男が、地面にうつ伏せの状態で倒れていたのだ。 少し離れた場所では、逃げようとした姿勢のまま、馬が静かに身体を横たえている。当たりどころが悪かったのか、全身を宇宙船の底部に完全に押しつぶされて絶命していた。 注意を、男のほうへと戻す。その瞬間、ほんの微かなうめき声を上げるのが確かに聞こえた。まだ生きている! 大急ぎで船内に取って返すと、緊急用の簡素な担架を引っ張り出して、ぐったりとしたままの男の身体をそこに乗せた。 「ぐっ……さすがに重たいわね。いい? まだ死んじゃ駄目よ」 そう、あえて軽快に呼びかけるものの、男に聞こえた様子はなかった。 船内へとどうにかこうにか担架を運び込んでから、ゆうに三十分ほどが経過していた。 自動制御の医療用ロボットが、レーザーメスで瀕死の男の肉体に大胆に切れ目を入れる。繊細で機敏な複数のアームが、人工知能の明敏な判断に忠実に、損傷した組織や臓器、骨、血液を、人造のものと着々と置き換えていった。 必要な大部分の処置が完了し、傷口にはバイオ修復溶液や組織を再構成するナノマシン各種が適切に塗布されていた。 優秀な機械の医師団の活躍を前に、特に手を出すこともできず目視用のディスプレイパネルを眺めていた彼女は、ふいに、その画面がチラつくのに気づいた。 「いよいよってとこかしら」 室内灯や空調装置など、落とせる部分は落としていたものの。墜落の原因にもなった、船内の動力すべてを司るジェネレーターの故障による電力供給の不調が、限界に達しつつあるのが感じられた。 視認のおぼつかない状態で明滅する生命活動のインジケーターが、動力が途絶えつつあるために弱まっていく。一瞬、躊躇したあと、彼女は、意識を服に集中させると、精神感応による操作で、生体エネルギーのブースターを一気に稼働させた。 彼女の伸びやかな肢体を張りつくように覆った布地から、微かな光が浮かび上がる。屋外活動用の外套部分をワンタッチで切り離すと、アンダーウェアのみの状態で、治療台に横たわる男の上へと、そっと覆い被さるようにして身を横たえた。 「カモン。頼むわよぉ。死なれちゃ、それなりにヤバいんだからね?」 目を閉じたまま眠るように横たわっている男の、引き締まった筋肉の盛り上がりを感じながら、両腕を、両脚を絡ませる。 そのまま、しばらく時間が過ぎた。動力が落ち、緊急用のライトだけが残った船内で、彼女の全身から発する穏やかな光が、男の身体を包み込んでいる。 宇宙船は地面に衝突し、滑って若干傾いたまま停止し、集落から離れたその場での出来事に、まだ誰も気がついていなかった。 目の前に、あっという間に宇宙船の底面が広がる。視界を覆い尽くされる。エンジンの排煙のにおいが鼻につき、強烈な熱気に驚いたところで、激しい衝撃に全身を揺さぶられた。分厚い壁に思いっきり叩きつけられたような痛みを感じたはずだったが……不思議なことに、意識が朦朧として、そこから先の記憶が定かではない。 そんななか、確かに、感じていた。ゆっくりと、一度死んで生き返るかのごとく、深い眠りの底から目覚めつつある意識のなかで……全身に覆い被さり、妖艶に肢体を絡めてくる、温かくて心地のよい存在を。 じんわりと、凍りついて冷え切った身体が、溶かされるように……。 「目が覚めたようね」 ふと気がついたら、そんな声が頭上から聞こえた。身体を起こそうとするものの、鈍い痛みと痺れるような感じがして、思うように動かない。 「君は……いったい……」 目を瞬かせながら、手をついて苦しげに身を起こすと、横たわっていた救護ベッドが自動で角度を変えて、巧みに動きをサポートした。まるで人間のような動きに、彼は驚きを隠せなかった。 「エリィよ。気づいてると思うけど、この星の人間じゃないから」 そう、さらりと核心を漏らしながら、軽快な口調で応えてみせる。 「そりゃまあ……そうなんだろうな。俺はロンド」 二人は、お互いシンプルに自己紹介を済ませると、明るさを取り戻した船内の救護室で向き合った。宇宙船の墜落の原因となった、ジェネレーターの故障は、ロンドが目覚めるまでに、エリィが簡単な応急処置を済ませてある。 「確か……空を飛ぶ船に潰されたはずだったが?」 「それについては、悪かったと思ってるわ! どうしてもっていうか、船の動力部が不調だったのよね」 言葉とは裏腹に、そう悪びれてもいない彼女を見て小さくため息をつくと、ロンドは両腕を持ち上げたりして、思いのほか怪我の程度が軽いことに気づき、目を細めた。 「何か、したか……?」 「何かって、何かしら?」 「いや別に。どうも軽傷だと思ったんだよ」 鋭く、疑惑の視線を向けてくるのを、軽く微笑んで見返す。 「応急手当くらいは、ね」 「そりゃ、どうも」 確かに、相当な規模の負傷をしたはずなんだが。そんな思いはふと、遮られた。 目の前で、ゆったりと壁に寄りかかり、胸の前で腕を組み、軽く両脚を交差させるようにして立っている彼女の、全身の肢体の艶めかしいラインを際だたせるようにぴったりと覆った服装に、思わず視線を惹き寄せられたのだ。 肩口までのごく短い袖から二の腕が伸び、豊満な両胸の膨らみを包むタンクトップは腹部を露出して途切れ、さらに、丈の短いホットパンツから魅惑的にすらりと伸びたふとももへと続いている。 「今後……定期的な診断が必要になるから」 エリィのつぶやくような声に、ふと現実に意識を戻し視線を上げると、彼女と目が合った。凝視していたのを気づかれたか。ロンドは慌てて視線をそらす。 「いったいどういうことだ」 「内緒よ、いろいろと。答えられないことのほうが多いからあれこれ聞かないでね」 そういいながら、彼女は身体をすばやく滑らせると、未だに辛いのか救護ベッドに腰掛けたままのロンドの隣に身を寄せ、身体をもたせ掛けた。 「何だよ……」 「別に? 私に対して怯えないのね。この星の住人じゃないみたい」 そんな風に、あけすけに問いかける彼女の訝しげな視線に、この星の人間みたいとは何だ、と憮然とした様子を見せながら。ロンドは、すぐそばにある彼女の肢体の、素肌のきめ細かさまで感じられるほどのみずみずしさに息をのんでいた。 「まあな。事情はこっちにもあるんだよ。俺は、集落の自警組織の代表でもあるし、ギャラクシーレギオンとフロンティアグラッドの対立についても……」 「マジで! いいわね、それ」 なぜか急に、その言葉に激しく食いついたエリィが、すらりと伸びた美脚をぶつけてくるのに、ロンドは困惑する。そんな彼の胸中など知らぬかのように無視して、エリィは冷酷に宣言するのだった。 「あなたを、このまま野放しにはできなくなったわ。いろんな意味で」 目を細め、口元をにやりとつり上げて、今すぐに鎖でも繋ぎかねない勢いでそんな物騒なことをいう彼女の様子に、ただならぬものを感じながら……ロンドは、思うのだった。我ながら、惑星アディオスの血を濃く受け継いだ人間の悪い予感は当たるものだと。 「勘弁してくれ、っていったって……」 「駄目に決まってるでしょ! あなたの命だって懸かってるんだから」 そういいながら、エリィは、ロンドの胸のど真ん中をそっと指先で突いてみせた。その婉曲なヒントが通じたのか……ロンドは、先ほどからまるで「鼓動を感じない」心臓の動きを理解すると、観念して、背後に身を投げ出した。 >第二章 >>トップへ戻る