第一章

 地上からはるか遠い地の底に、広大な空間が広がっていた。
 粉塵で曇った空気を切り裂いて、天井や壁から、無数のライトの光が伸びている。
 そこらじゅうから、岩石が採掘される轟音や、巨大な運搬車両の走る音が響いていた。
 日の光のまったく届かない空間で、数多くの労働者たちが「マグナ粒子」の採掘に従事しているのだった。
 ともすれば、時間の感覚がなくなりそうになる、閉塞感のある場所だけに。壁面には、一定間隔ごとに情報ディスプレイが設置され、時間、温度、湿度といった周囲の環境や、安全管理のための注意事項を表示している。
 それらの情報は、彼らが身につけている大型の腕時計の画面にも表示されていた。
 新たな岩盤へと掘削を進めているエリアでは、「マグナドライブ」を内蔵した大型の重機たちが、巨大なアームに取りつけられたドリルを猛烈に回転させ、深い地底にしか存在しない新エネルギー資源、マグナ原石を含んだ鉱石を削り、弾き飛ばしている。
 周辺では、やや小さめの別の車両が、ホース状の装置を伸ばして、大小さまざまの破片となった岩石を吸い込み、内部の破砕装置で均等な大きさに砕き、粗い砂粒のようになったそれを、さらに別の運搬用ダンプトラックの荷台に注ぎ込んでいた。
 こうして採掘されたマグナ原石は、採掘場の別のエリアに運ばれ、精製のための処理をされて、マグナ粒子となる。一連の採掘から精製までの作業は大半が自動化されていた。
 多大な労力を要する工程は、新時代の駆動装置、マグナドライブを搭載した機械が担当しているため、採掘に従事する労働者たちが原始的な方法で岩肌と格闘することはない。
 だが。この地下深くにある日の当たらない採掘場で、完全にすべてを自動化することが難しい複数の細かい作業を、多くの労働者たちが行わなくてはならないことは、非常に厄介な問題といえた。
 前後に二つの車輪がついた縦長の踏み台部分に、ポールとハンドルが接続された、シンプルな構造のマグナ駆動ローラーボードを操りながら。イリヤは、そこだけが舗装された移動用の通路を疾走していた。
 引き締まった、それでいて逞しさも感じさせる体躯をしている。明るいブラウンの短髪が逆立ち、顔には濃いスモークの入った無骨なデザインの大きなゴーグルをつけているため、口元以外の表情は伺えなかった。
 何よりも彼の印象を強固にしているのは、身につけている独特の衣服だ。外套のように身体をすっぽりと覆う服の、胸の部分には、採掘場を管理する側……そして、それ以上に、このベリエルグという小国の支配者階層であることを意味する紋章が、大きくはっきりと刻まれていた。
 数多く稼働している重機や車両を整備する職務を担当していた労働者たちが、近くを通り過ぎるイリヤに対して、会釈をして畏敬の念を示す。
 イリヤは、そんな彼らの作業を俯瞰して、何らかの問題が生じていないかどうかを確認していった。
 見渡す限りの、広い採掘場である。全体を自動的に監視するための装置はもちろん用意されていた。
 イリヤも普段はそこでモニタリングを行っている。常時ではないにせよ、定期的に彼のような立場の人間が採掘場の見回りを行うことによって、労働者たちのモチベーションの向上や、不正の防止になるのだった。
 原石の採掘のためのエリアを離れ、しばらく移動すると、精製のためのエリアに到達する。イリヤはローラーボードを停車スペースに立てかけると、頑丈なコンクリート造りの建物のドアを開けた。
 内部では、粉砕された原石からマグナ粒子を抽出するための諸々の作業が行われている。それらを横目で見ながら、イリヤは精製エリアを管理する人間がいる場所へと向かった。
「お待ちしておりました、火曜様。本日分の納品はこちらになります」
「……ああ、確かに」
 目の前の男がテーブルに載せた、黒い樹脂製の円筒を、四本。肩に掛けた鞄から取り出した、金属製の収納ケースの蓋を開き、空洞となっているスペースにぴったりと押し込むと、蓋を閉め、鞄にしまった。
 一礼する男に小さく会釈をしてその場を離れると、表に止めてあったローラーボードを起こし、足を掛けながら無意識に「前へ進め」と思念を送った。
 腰に巻いて装着した、やや厚みのあるベルトのような「マグナデバイス」の精神感応センサーが意思に反応して、マグナエネルギーを発生させると、ローラーボード側へと空間を経由して伝達する。ローラーボード内部のマグナドライブが力強く稼働した。
 イリヤは、身体のバランスを巧みに操りながら、他の精製エリアを目指して通路を移動していった。
 他にも、複数の採掘と精製のエリアが、セットで点在している。そのすべてを、見回りを兼ねながら訪れ、その日精製されたマグナ粒子を回収するのもまた、イリヤの担当職務だった。

 ようやく、すべてのマグナ粒子のパッケージを回収し終えると、イリヤは採掘場の端、人通りの少ない箇所に設けられた隠し扉の前に立った。扉を一瞥するとすぐにロックが解除され、すばやく開閉するあいだに通り過ぎる。
 その、ベリエルグの支配者階層だけがアクセスできる専用スペースで。イリヤは、ゴーグルを外し、鞄を下ろすと、外套についた粉塵を軽く払いながら脱いで、壁のフックに引っかけた。
 上下の服を、「七曜」の一員として振る舞う際のものから、用意してあったごく一般的な労働者の服装へと手早く着替える。
 脱いだ服を、完全に自動化された洗濯装置に放り込み、布製のデイパックに、マグナ粒子の入った鞄ごと収納した。続けて、マグナデバイスに意思を送る。逆立っていた明るいブラウンの髪が、見る間に、ナチュラルな黒髪へと変化していった。
 先ほどまで採掘場を見回っていた姿とはまったく違う、ごく普通の青年といった外観を全身鏡で確認すると、イリヤはデイパックを掴み、廊下を通ってさらに奥にあるエレベーターホールに向かった。
 普段この設備を利用するのは、七曜のうちのひとり、火曜である彼がほとんどだ。地下の採掘場の側に止まっていたエレベーターは、意思に反応して扉を滑らかに開き、イリヤを乗せて閉じると、遠い地上めがけて滑るように移動を開始した。
 労働者たちが使う通常のエレベーターは従来からあるボタン制御になっているが、七曜専用の設備では、行動の迅速化のためにそうした単純なインターフェースは精神制御によって置き換えられていた。
 数十年前に発見された新技術と、新たなエネルギー源は、それを占有するベリエルグという小国の姿を大きく変貌させた。
 それまで注目されていなかった、地下の奥深くに眠っている広大な鉱床から採取される、特殊な成分と組成の岩石。マグナ鉱石と名づけられたこの岩石から抽出された粒子は、外部からある特定の刺激を加えることで物理学的な反応を起こし、質量のうちのほんのごくわずかの部分を消失する。その過程で、単なる熱や電気とは違う、純粋で柔軟なエネルギーを放出するのだ。
 俗に、小石ほどの質量の物体であっても、そのすべてをエネルギーに転換することができれば、甚大な爆発が起き、街ひとつどころか見渡す限りすべてが吹き飛ぶといわれる。
 マグナ粒子の反応は、そうした極端なものではなく、十分に制御されたものであるため、事実上の燃料電池として機能する。
 また、放出されるエネルギーの今までにない特性が、多様な利用法を発達させた。ベリエルグで動作する機械のほぼ大半は、大小さまざまのマグナドライブを使って駆動しているといっても過言ではなかった。
 しばらくすると、滑らかに動いていたエレベーターが速度を落とし、地上階に到着して停止した。ドアが開き、イリヤが外に出るとすぐに閉じた。
 その専用エレベーターの地上側出入り口は、人通りの少ないエリアに、「不可知領域」、つまりベリエルグの支配者階層の、所有する施設として立てられた建物のなかに、目立たないよう物品搬入用に偽装して作られていた。
 イリヤは、敷地内の狭い通路を通り、裏口から細い路地を経由して、何気ない風を装いながら街の雑踏に合流していった。
 不可知領域のさまざまな職務を遂行する少数精鋭の実動部隊である、七曜……そのうちのひとり、火曜としての姿と。単なるごく普通の街の住人、イリヤとしての姿を使い分けることは、彼の日常だった。
 長いこと地下の採掘場に籠もっていたために、地上の新鮮な外気が心地よく感じられる。
 夕方の大通りに出ると、この日は採掘場での労働当番を割り当てられていない労働者たちが、地上側での職務に従事し、あるいは、買い物や食事など、さまざまな用事をこなしていた。
 それだけならば、まだしもごく普通の街の光景として、不自然なことはなかっただろう。
 違うのは、街のそこかしこで、明らかに人間とは異なるシルエットの存在が、周囲を威圧するようにして動き回っていることだった。
 頭部に二つの赤い目が光るそれは、人工知能とマグナドライブによって駆動する自動機械である。民衆にマグナの力を奪われ悪用されることのないようにと不可知領域が敷設した、治安維持のための機構だった。
 民衆たちは表向き、自動機械の存在を気にしていないように振る舞っているものの。おのずと目につくその支配のための装置に対して、警戒心を抱いていないわけではなかった。
 支配者階層からの監視の目線という影が、彼らの日々の生活を絶えず覆い、暗雲として垂れ込めているのだった。
 ごく普通の街の住人にしか見えない外見に扮したイリヤは、途方もない価値がある品の入ったバックパックをざっくりと肩に掛けて歩きながら、街の賑わいを眺めていた。
 どうせ、通り道なのだ。荷物を不可知領域の本拠地まで運搬するついでに、酒場で食事を済ませるのが日課となっていた。
 特に何事もない、いつもの光景だ。イリヤは喧噪に満ちた夕刻の酒場に入ると、カウンター席の端のほうに腰掛け、彼のような客におあつらえ向けに用意された定食メニューからひとつを選んで注文した。
 料理を待ちながら、何気なく、ガラス窓から目の前の人通りを眺めているときだった。
 ふいに、すぐ隣に人の気配を感じて、イリヤは何事かと視線を上げた。
「ハァイ。こちら、空いてるかしら?」
「……ああ。どうぞ」
「それじゃご遠慮なく」
 身軽な動作で、彼の隣の席に伸びやかな肢体を滑り込ませてくる。長くてさらりとした金髪をたたえた、若い女だ。
 白を基調とした明るい色と柄の半袖のブラウスから覗く二の腕と、短いプリーツスカートからすらりと伸びたふとももの眩しさに、一瞬、思わず目を奪われそうになった。
「この店でよく見かけるわね。あなたも採掘場帰りなのかしら?」
「まぁな。ちょうどさっき終わったところだ」
「私もなのよ! まったく、お互いに大変よねぇ」
「ああ、そうだな……」
 それほど混んでもいない店内で、どういうわけか強引に隣に座り、親しげに話しかけてくる彼女の唐突な態度に、イリヤは困惑して微かに目を細めた。
 いったい、何なんだこいつは。そう思うあいだにも、目の前の女は、軽く手を上げてウエイトレスを呼び止めると、ビールの大ジョッキを二つ注文する。すぐに運ばれてきたうちのひとつを、イリヤの目の前に滑らせるように置いた。
「奢るわよ。お近づきの印に、ね」
「おいおい。いったいお前は……」
「私? フラルよ。ただのしがない労働者」
「それにしちゃあえらく強引だけどな。俺はイリヤ。同じく労働者だ」
 すでに彼女のペースに巻き込まれているのを感じながらも、イリヤはよく冷えて汗をかいたジョッキを手に取り、彼女のジョッキと軽く合わせてみせた。
 さっそくビールを勢いよくあおっている、フラルと名乗った女の意図が、まったく理解しかねる。俺の何かを知っているのか? いや……いくら何でも、そんなはずはないだろうが。



「ぷはーっ。やっぱり、採掘場上がりにはこれが一番! ねぇ、あなたは週にいくつの当番なの?」
「別に聞くまでもないだろ。二つだよ」
「そりゃあそうよねぇ、悪かったわ」
 フラルが、言葉とは裏腹にまるで悪びれもせず、笑いながらイリヤの肩を叩いてくる。
 ベリエルグの民衆それぞれに割り当てられた採掘場労働の当番は、富裕層であれば、金銭によって代替することも可能だ。だがそれができるのは本当にごく一部の、特殊な職務を担当する人間に限られていたからだ。それ以外のほとんどを占めるごく普通の労働者に対しては、最大で週に二日間の当番が割り当てられていた。
 彼らは、地下深くの採掘場で週のうち二日を交代制で採掘労働に従事し、残りのさらに数日を、地上でそれぞれに割り当てられた職務をこなすことに費やしていた。
「本当、やんなっちゃうわよね。この国の美徳は労働である、なーんていわれてるけど。私たち弱者大衆にしてみれば、単に駒として使われてるだけって感じ」
「まあ、仕方ないさ。俺たちの義務だからな」
「何よ。あなたも、マグナ技術さまさまっていう人たちの側なわけ?」
「そうかもな……この国がこうして豊かなのも、実際にマグナの力の恩恵だからな」
 そんなありきたりなイリヤの答えに、フラルは別段気を悪くするでもなく。にやりと微笑むと、身体を思いっきり近づけて、彼に身を寄せるようにしてきた。小声で続ける。
「そう思うじゃない? でも、採掘場で最近出回ってる噂なんだけど……日がな一日じゅう採掘してる、あのマグナ粒子は、単に私たちの生活を豊かにするためだけのものじゃないみたいよ」
「へぇ? じゃあいったい、何のためなんだよ。マグナがなければ、この国で稼働する主要な機械のほとんどが動かなくなる。昔ながらの電気や何かは一部しか使われてないしな。それに、肝心のマグナ鉱石の採掘にだって、マグナの力は立派に使われてるだろ?」
 彼女のやけに親密な仕草にどぎまぎしながらも。イリヤは、さも心外そうにマグナ技術の有益性を説いてみせた。フラルは彼の耳元にさらに顔を近づけ、誘惑するかのようにささやきながら言葉を続ける。
「いったい、何のためだと思う? 日々採掘されてるマグナの量と、国中で使われてるマグナの量が、まるで釣り合っていないとしたら……残りは、いったいどこへ消えてるのかしらね」
「さぁな。そもそも、マグナはエネルギーなんだから、多少多いくらいでちょうどいいんじゃないのか。不都合はないだろうよ」
「どうしてそう脳天気なの……あらっ?」
 イリヤに身を寄せるようにしていたフラルの足先が、床に置いていたデイパックに引っかかり、彼女は意外そうに声を上げた。
「ずいぶんと重たいのね」
「ああ……まあ、道具とか、いろいろとな」
 こんなところでもし中身を見せろといわれでもしたらことだ。イリヤは彼女の視界から外れるように、デイパックを反対側の床へと足で強引に押しやった。
「お待たせしました! 定食のお客様っ」
 ジョッキを片手に話し込んでいた二人のところに、イリヤが最初に頼んでいた料理が到着した。フラルを気にするでもなく、彼はそのまま料理を食べ始めた。
「つまり……不可知領域の考えてることは、彼らだけにしか分からない。でもだからこそ私たち、弱者大衆の側は、その主張を完全に鵜呑みにはできないってことかしらね」
「ふーん? そんなご大層な話かねぇ……」
 いかにも労働者向けに塩気を効かせた薄切りの牛バラ肉を焼いた料理を、ナイフとフォークで捌きながら。イリヤは気のない素振りで彼女に話を合わせる。
 彼はすでに、このフラルと名乗った謎の女の素性を、怪しみ始めていた。
 いかにも唐突に話しかけてきたことといい。話の内容に、ベリエルグの支配者階層に対する、懐疑と不信がにじみ出ていることといい。
 本当に、何者なんだよ、こいつは。何をどこまで知ってる? 確かに、ぱっと見だけは明るくて魅力的な女だとは思うが……。
 そんな風に思いながら料理を口に運んでいたイリヤは、ふと急に、フォークを操る手先が重たくなるのを感じた。何だ。酔ったわけでもあるまいに。急に目がかすみ、目の前の光景すらはっきりと見えなくなる。貧血にも似たような症状が突如として生じた理由は、すぐに分かった。
 フラルが、その魅力的な肢体を、イリヤの身体に触れ合わせながらしなだれかかってきている。腕を絡め、豊満な両胸を形が歪むほどに押し当てるようにして。
 すぐそばに広がる、彼女の髪から漂ういい香りに陶然となりながらも。イリヤは、事態を理解して衝撃を受けていた。
 この力……「精神操作」だ。マグナエネルギーを人間に対して直接作用させることにより、相手に催眠効果を与えることは、確かに可能だった。
 だが。それを、何の装備もなく素手で行えるのは……彼ら七曜のように、あらかじめ身体じゅうにさまざまな機能のマグナドライブをインプラントしている、事実上のサイボーグに限ってのことである。
 しかも、その高度な技術は、不可知領域に深く関わる者たちだけの秘匿としていたし、そもそもそのようなマグナの使い方があること自体、ごく普通の民衆が知る由もないはずだった。
 民衆たちが普段から腰に巻いているごく一般的なベルト状をしたマグナデバイスで行使できる力は、その用途があらかじめ極めて限定されているのである。
「あら、どうしたのぉ? まだ一杯しか飲んでないのにもう酔っ払っちゃった?」
「……お、お前は……いったい……」
 微笑みを絶やさず、まるで仲のいいカップルのように彼に濃密に寄り添いながら、フラルは、気遣うような声を掛けてくる。
 それを意識の片隅で聞きながら、イリヤは、彼女の身体から送り込まれる精神操作のマグナの影響によって、意識が少しずつ薄れていくのを感じていた。

「……様、お客様っ、大丈夫ですかぁ?」
「ん? あ、ああ……」
 ウエイトレスに揺り起こされる声と気配を感じて、イリヤは、ぼんやりとした意識のまま目を覚ました。目をしばたかせながら周囲を見回す。
 フラルがいたはずの席はすでにきれいに片づけられ、彼の目の前には、すっかり冷め切った食べかけの定食と、飲みかけのジョッキがそのまま残されていた。
 まるで、最初から何も起こらず、単に疲れから眠り込んでしまったかのような錯覚を覚えかける。だが、まさかそんなはずがないことは明白だった。
 まずいことに、身体の各所にインプラントされた精密なセンサー群に、微弱なノイズのような違和感が残っている。その感覚は、身体の外から、何らかの電磁的なスキャンを受けた可能性をも示唆していた。
 すばやく手持ちの備品をチェックする。財布や通信端末は元の場所にあった。だが……激しい嫌な予感とともに恐る恐る確認すると、やはり、足下に置いてあったはずのデイパックが姿を消しているではないか。
「ったく。やってくれるじゃねーか、あの女……」
 思わず、悪態をつく。マグナ粒子の運搬中に食事をしていたのは彼自身の落ち度といえばそうなるが。
 そもそも、ごく普通の民衆に完全に偽装した状態である今の彼に、こうして恣意的に攻撃を仕掛けてくる者が現れる事態など、まずもって起こりえないはずだった。むしろ、七曜という立場の自分を狙い撃ちされないための民衆への偽装なのだから。
 ため息とともに椅子から立ち上がる。会計しようと財布の入ったポケットに手を入れたところで、先ほどまではなかった、折り畳まれた紙片がねじ込まれていることに気づいた。
「第三精製エリア裏側 廃材倉庫」
 とだけ、書かれている。イリヤは紙片を元通りに折ってポケットにしまうと、まるで何事もなかった風を装いながら会計を済ませ、酒場を後にした。
 大通りでは相変わらずいくつもの自動機械たちが闊歩し、周囲をくまなく警戒している。だが、さすがに店のなかまではその視線も完全には届かなかった。

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