第一章 濃霧に包まれた世界

 砂粒をすり潰すような鈍い音とともに、街そのものである城砦の中央に位置する巨大な門が開けられていった。全身に軽装の金属や革の武装を施した精悍な男女の一群がゆっくりと入城してくると、大きな喝采とともに迎え入れられた。
「導師様のお帰りだぞ」
「おお……有難や」
 巨大な砂岩を組み合わせて構築された、頑強で巨大な城砦都市のなかで、日常の営みを行っていた老若男女たちが、帰還した一群を見てにわかに色めきたち、近寄っては、ねぎらいと尊敬の言葉をかける。武装した一群も、彼らににこやかに応えていた。
「今日も大猟だよっ。これを調理師のところへ」
「お安い御用です、導師ティタ」
 霊的拳士と呼ばれる一群のなかでも、ひときわ若く美しい女性……ティタが、微笑みつつ、背後で縄によってぐるぐる巻きにされた巨大な肉塊を指すと、近くにいた物売師の男性が、自らの店舗を放り出すのも構わず、店の裏方から荷車を引き出してくると、そばにいた何人かの同僚に声をかけつつ獲物の肉塊を運び始めた。その様子を見届けると、ティタはようやくとばかりに大きく息をつき、額の汗を袖でぬぐい、他の拳士たちと会話を交わしながら、街の中心近くにある自らの居住区へと向かった。
 霊的拳士……その攻撃は自らの素手による打撃であり、周囲にあまねく存在する霊的な力場を両拳に宿し、ほの白く光を帯びた拳を対象に叩き込むことで絶大な威力となる。獲物は、街を襲う〝憑き物〟だった。はるか古代に建築された、巨大な砂岩からなる城砦は、現在ですらその頑強さを変わらず保っていたが、すべての生活物資を城壁内で維持することができない以上、街の外を徘徊する危険きわまりない憑き物たちを撃退しつつ、しかもその肉を食料として得る霊的拳士たちは、まさに街の人々にとって欠くことのできない功績者であるといえた。

 そこからやや距離を置いた、砂岩の建物の影になる位置で、ひとりの、全身を文様が描き込まれた布の服で覆った男性……グレフが、門の周辺でわき起こる喧騒にやや気を取られつつ、自らの職務を全うしようと苦心していた。自分の背丈をゆうに超える、細身の金属を縦横に組み合わせた、さながら肉のそぎ落とされた魚の骨を思わせる長い棒状の物体を、砂地の地面に掘った膝丈ほどの細穴に力を込めて押し込むと、砂と金属がこすり合わされる音が響く。構わず、グレフは周囲の砂を、持っていた瓶からしたたらせた刺激臭のする薬液で湿らせつつ盛り合わせて、棒が倒れないように固定し、二、三度、強く押したり引いたりしてその仕上がりを確認する。棒の根元付近では、硝子の枠に複雑な文様の術式ではめ込まれた特殊な鉱物が鈍い輝きを放っていた。彼は、その仕掛けが問題なく完全に機能することを確認すると、顔を上げ、水晶から削り出して作った希少な眼鏡を押し上げつつ、霊的拳士の居住区へと向かっていく一群をなおも遠目で追おうとした。
「導師グレフ」
 その時、背後から、彼を探しにきたとみられる仲間の男が、声をかけた。グレフと同じく、文様の刻まれた布の服で全身を覆っている。その術式はグレフよりもやや単純なものだった。
「準備、整いました」
「ああ、こちらも今片づいたところだ」
 霊的拳士たちの一群から目を離し、グレフは何事もなかったかのように周辺の装備を注意深くかき集めると、彼を呼びにきた仲間、彼と同じ降霊術師とともに、街の外れに位置する彼らの居住区へと向かって歩き出した。
「それにしても……いつ見てもあまりいい気持ちはしませんな」
 仲間の男が、やや侮蔑とも取れる声色で、グレフにそう声をかける。グレフが目をやっていた門の周辺での出来事を指しての言葉だった。
「あの肉塊にしても、どれほどの霊魂が蓄積してああなったことやら。しかもそれを食すなどと……?」
 男は、グレフが、すっと手を上げて彼を制したのを見て、慌てて口をつぐんだ。
「失礼……口が滑りました」
「なに、構わんよ。しかし、いい気持ちがしないのは我々も同じ……むしろはるかにそれ以上じゃないか。分かっているだろう」
 グレフの言葉に、男は顔を伏せる。だが、それ以上いい返しはせず居住区への道を急ぐのだった。

 砂岩の街は、平地に置かれた巨大な箱のように、四角形の城壁によって大きく底上げされ、大階段を下った先である門の外とはかなりの標高差があるにも関わらず、周囲の空間は居城の外と同じく濃い霧で覆われていた。その霧は、晴れることなく、朝から夜まで日がな一日、この街を、そして彼らが生きる狭い世界のすべてを覆い尽くしていた。霧は、時おり、意思を持つ者独特の動きを見せ、ふとあるところに集まっては小さな動物のような塊を形成し、すばしこく飛び回り、またもとの霧に帰る、といった不規則な動きを延々とくり返していた。
 導師と呼ばれる、この狭い世界でさらに希少な存在であれば、その濃霧が見せる不可思議な動きに独自の解釈を加えることができただろうが、街のさまざまな機能を支える、それぞれに重要な役割を持った他の大半の者たちにとっては、霧は霊魂が集まってできたもの、という漠然とした共通の認識があるだけだった。その濃霧が見せる戯れともいえる動きは、ただ単に見慣れたものとして、特に意識されることもなく、物心ついたころから延々と続く日常の光景として見過ごされてきた。憑き物という、街の人々を襲う脅威である存在にしても、空間を漂う霊魂が、単純な構造の動物の肉体を寄りしろとして、過剰に憑依した成れの果てとして、しごく単純に認知されているに過ぎなかった。霊魂に満ちた世界に暮らす彼らは、その特異な存在と絶妙に共存しているといえた。

 グレフと連れの男が、街外れの彼らの居住区に戻ると、そこでは慌しく、両手にさまざまな備品を抱えた者たちが動き回っていた。皆一様に、文様を刻んだ布の服を着ていたが、その術式にはいくつもの種類があり、彼らの集団の内部での役割や立場をひと目で分かるように示しているのだった。
「導師グレフ、戻られましたか」
「遅れてすまないね。昨日の大風で、霊視環の基塔がひとつ倒れたので、急いで補修していた」
 彼が肩から下ろした重たい装備を、見習い導師の服を着た何人かの若い青年たちが、うやうやしく、といった雰囲気で手にすると、所定の置き場へと片づけていく。重要な街の防衛と外部観察の機能である霊視環を補修するためのそれらの装備は、非常に希少な唯一無二のものであり、損傷などもってのほかであるための、腫れ物に触るような手つきだった。導師グレフほどの霊的能力者の備品を片付ける役得に預かった彼らは、その小さな職務を完全に遂行すると、どこか誇らしげにグレフのほうへ戻り、遠巻きに彼を見守った。
「準備は整ったようだな」
 中央の広間からひとつ奥に入ったところにある実験室の中に入り、周囲をさっと見渡すと、グレフはそう声をかけた。室内で、硝子管や熱源を複雑に組み合わせた、時おり蒸気を激しく吹き出す、ものものしい装置群をのぞき込んでいた何名かの技術師が、顔を上げると、眼の部分に硝子の板の入った分厚い面布を片手で持ち上げた。
「すべて仰せのままに。すぐにでも開始できます」
「……有難う。では早速で悪いが、始めようか」
 グレフがそう告げると、湯気のこもった、若干蒸し暑いその実験室に、にわかに緊張が走る。技術師たちが数日がかりで、ただでさえ希少な備品を惜しげもなく投入して構築した複雑な装置が、今、導師であるグレフによってその真価を試されようとしていた。
 グレフはまず、実験室の外れに置かれた大盆の中になみなみと満たされた無色透明な液体に、布の服が濡れそぼるのも構わず、両腕を肩の辺りまで浸すと、そのまま腕を大きく動かし、液体を何度かかき混ぜるような動作をした。しばらく後に液体から両腕を引き出すと、そばにあった薄い布で軽くぬぐっただけで、わずかな粘性のある液体のしずくがまだ腕に付着したままの状態で部屋の中央に移動した。床には、彼らの衣服に刻まれているのと同じ文様が、比較にならないほど複雑な術式で刻まれている。その中央に立つと、グレフは目の前の金属製の檻の中を見た。
 大人の肩幅ほどの大きさのその檻の中には、二本の丸まった角を持ち、ふかふかの柔毛で全身を包んだ動物が、これから行われる実験のことなど何ひとつ知らず、まるで意に介さずといった様子で、じっとたたずんでいた。グレフが檻に近づき、そっと動物のつぶらな瞳をのぞき込むと……動物の様子に微妙に変化が生じた。動物は、まるで深く魅入られたように、グレフのほうをじっと向いたまま、動きを止めている。そのにらみ合いの膠着状態が数秒ほど続いた後に、グレフが目線を動かさないまま小さくつぶやいた。
「今だ、やってくれ」
 周囲で控えていた技術師たちは、その声を聞くと、瞬時に反応して装置を稼動させた。複雑に組み上げられた硝子管の中を、淡く色のついた蒸気がぐるぐると行き交う。また、ひときわ大きな硝子瓶の内部には、屋外を漂っていたのと同じ、あの、知的な動きを見せる濃霧のひと塊が封じられていたが、複数の硝子管から流れ込んだ蒸気とともに、その濃霧の塊も混ざり合いながら、いっせいに檻の中の動物へとどっと降り注いだ。
 グレフのそばに技術師が素早く近寄ると、檻の上部の蓋を取り外す。視界の隅でそれを確かめると、グレフは慎重に両腕を檻に差し入れ、蒸気によって柔毛を薄く濡らした動物の体表を、ゆっくりとなで回すように手を滑らせていった。動物は、視点をグレフの目線とぴたりと合わせたまま、身体をまさぐられながらもじっとしている。同時に、グレフは周囲の蒸気ごと呼吸するかのように、深呼吸をくり返していった。床の文様が少しずつ淡い光を帯びていき、グレフの服に刻まれた文様とも反応するように明滅する。グレフの両手も、その一連の変化に連動するようにして、淡く光っていた。
 少し後に、グレフが、動物の身体をぐっと握り締めるようにすると、無言で視線に一層の力を込め、動物の瞳の奥を、集中してのぞき込んだ。動物は、一瞬、ぶるりと震えたものの、すぐに何の反応もしなくなり、グレフの手の中で力を失った。動物の周囲を飛び交うように移動していた濃霧の塊、ひとつの霊魂が、にわかに反応して動物の様子を興味深くうかがうそぶりを見せる。反対に、動物の背中辺りから、別の色合いをした、ずっと小さな霊魂が飛び出したかと思うと、そばで広く口を開けるように置かれていた硝子管の内部の蒸気と混合して反応し、たちまち吸い込まれ、少し離れた場所にある硝子瓶に導かれるようにして移動していった。
「やった、成功だ」
 若い技術師の一人が、思わず、小声でそうつぶやく。だが、それを見とがめた別の熟練の技術師が、慌てて彼を肘で小突いた。
「まだだ、よく見ろ」
 その言葉の通り、技術師たちが状況を注視するなかで、もとから硝子瓶に封じられていたほうの霊魂が、動物の中に一度は入り込みかけたものの、突然、激しく忌避するようにそこから飛び出し、檻の周囲の空間を激しく暴れまわった。その鋭い拒否反応と、周囲に飛び交う予測不能な霊的力場によって、複雑に組み合わされた硝子管から勢いよく、さっきまでとはうって変わった不調を示す蒸気の噴出が発生すると、実験室は騒然となった。技術師たちが何とかその場を持ちこたえさせようと懸命に動き始めるよりも早く、何個かの硝子管と、肝心の、動物の身体から飛び出したほうの小さな霊魂が封じられた硝子瓶が割れて損傷し、蒸気が猛烈に吹き出し部屋中に充満するなかで、動物の小さな霊魂は自らの肉体へと瞬時に舞い戻り、城外で慎重に採取され、封じられていたほうの大きな霊魂は、一瞬、部屋をものすごい速さで飛び交ったかと思うと、石壁の隙間を縫うようにして外へと漏れ、飛び去ってしまった。
 自身が両手で抱きかかえるようにした動物が、本来の魂を取り戻し、もぞもぞと動きを取り戻すのを見ながら、グレフはしばし呆然としていたが、すぐに気を取りなおし、技術師たちに片づけを命じると、実験室を後にした。技術師たちは、彼らなりの悔しさをにじませながら、周囲に散乱した貴重な薬剤や硝子管の破片などを片づける作業に没頭していった。
「惜しいところでしたね」
 身体に付着した、蒸気の淡い色素と混じった汗粒を、清潔な布でふき取りつつ深いため息をついていたグレフに、先ほど街の城門近くへ彼を迎えにいった男がそっと声をかけた。
「確かに……いつもよりはましだった。だが、寄りしろがあれではな……」
 グレフの嘆きに、男も唇をかみ締める。檻の中にいた動物は、彼らの集団、降霊術師と呼ばれる者たちによって、特別に創造されたものだった。普段は家畜とされている動物をひとつがい、砂岩と金属、そして霊的な文様の複雑に描かれた布によって幾重にも覆った、特製の飼育箱の中で飼い、やがて仔が生まれたと同時にその仔のみをさらに厳重に隔離し、絶対に他の雑霊が混入しない状態で丁寧かつ純粋に育て上げたものなのだ。しかし、そのとっておきの動物を使った今回の実験も、やはり寄りしろの役者不足によって、希少な薬剤や備品を無駄にするだけの結果に終わってしまった。
「しかし、導師グレフ、あなたのお力があれば、いずれは必ず……」
 男が、慰めるように、そう労わりの言葉をかける。グレフは、固かった表情を少し和らげると、彼にそっと微笑んでみせた。
「技術師たちに、十分な酒と食料をふるまってやってくれ。もちろん君にもな」
 グレフは、腹心の彼の肩にそっと手を置くと、自身は建物の奥にある自室へと向かった。

 家畜の柔毛をより合わせ、布を被せただけの簡素な寝具に、どっと身体を横たえると、グレフは深く眼を閉じ、実験の過程を思い返していた。技術師たちが数日がかりで構築した装置の術式の組み上げは完全であったはずだ。事実、寄りしろである動物の霊魂は、彼の降霊術によって、その肉体を離れ、見事なまでの精度で硝子管を移動し、いったんは硝子瓶に封じられたのだ。しかし、肝心の、街の外でやっとのことで捕獲した、知的な活動を示す濃霧の塊……生前は人間だったであろう霊魂を、寄りしろである動物に宿すことはついにできなかった。
 思わず、悔しさに身体に力が入るのを感じると、グレフは長い息を吐いた。無駄にした薬剤その他の備品のこともそうだが、今日の実験に備えて、長い時間をかけて養成された寄りしろでさえ、「一度死んだ人間の霊魂を別の肉体に再臨させる」ためには適さないことが分かったとなれば、その落胆は非常に大きいものといえた。

 彼らの住まう世界を覆う濃霧は、皆、何らかの生命の成れの果てである。肉体を失った霊魂は、ただ漂い、彼らの住居である砂岩の城の周辺にも、それらは日常的かつ大量に見て取ることができた。そもそもの大昔、この世界には「操霊術式機構」、通称〝霊機〟と呼ばれる、非常に強大な技能集団が存在し、あまたの生物の霊魂を浄化し、天に還すための複雑な霊的儀式を日常的に行っていた。その高度な技能集団は細分化され、数多くの導師と呼ばれる能力者が分業しつつ、多様な職務を日々黙々と遂行していたのだ。かつての空は、一点の曇りもなく青く晴れ上がっていたという。太古から存続してきた霊機という存在、その機能を中心とした霊的文明は、最盛期には、技術の粋を集めた偉業として、〝不死者〟すら創造することも可能ならしめたというが、その超高度な技術が、些細なきっかけでひとたび完全に破綻するや、暴走した霊魂の奔流が壊滅的な破壊を引き起こし、長い長い歴史のなかで蓄積されてきた術式の記録情報のほとんどは、その際の霊的混乱によって完全に粉砕され、失われるに至ったのだった。
 この大異変を、霊機に長年にわたり翻弄され続けた霊魂の怒り、祟りであると声高に唱え、主張する者もいた。しかし、高度な文明が崩壊し、残されたのは、古代に霊力の力場によって建築された頑強で巨大な砂岩の居城と、ごくわずかに残った、全盛期とは比べるべくもない霊的能力者たちのみとあっては……人々は、日々の糧を得るために、霊機の遺物である彼らに頼るより他はなかった。霊機の中枢の残存者たちは、大異変ののちに散らばっていた霊的能力者……導師の生き残りをかき集めると、彼らの血脈を保ち、少しずつでも増大させながら、砂岩の城にこもり続けてすでに数百年が経っていた。
 だが、残された居城を含むわずかな生活圏にさえ、目につくほどに滞留した、霊機の機能不全後の死者の魂たちは、浄化されずに漂い続け、ひたすら日々少しずつ増加するその霊的複雑性の増大は、世界の霊的な完全飽和状態、つまり熱的崩壊の危機が近づいているものとして、密かに危惧されていた。その事実は霊機の残存する中枢のごくわずかの者たちと、一部の高位の導師たちのみが知るばかりだった。

 導師グレフは、ふと、実験の前に見た、霊的拳士たちの一群のことを思い出す。彼らは、城内に帰還するや、街の住人から喝采を浴びていたことを。そして自らはどうだろうか。霊魂と肉体の相関関係を操作し、寄りしろとなる肉体にそれとは異なる魂を呼び寄せ、憑依させる技能……その属性は、いうまでもなく闇に属するものであり、彼らの存在は、居住区からして街の隅に押しやられるほどで、衆目からの冷たい視線は日常茶飯事だった。
 グレフはまだよい。それでも優れた霊的能力を持った高位の導師である彼は、街の中を移動していても、本心からかどうかは分からないまでもそれなりの敬いを受けることができるが、降霊術師の集団に属する者すべてがそうであるはずはなく、なかには、いわれのない冷たい待遇を受けたと、密かに居住区の部屋の隅で悔し涙を流す若い技術師もいた。グレフもそれを知ってはいたが、彼ひとりの力ではその長年にわたり定着した血族の境遇についてはいかんともしがたいところであり、歯がゆい思いもあった。それだけに、昼間の彼女……美しいティタの存在が、グレフにとっては非常に眩しく映ったのも然るべきであるといえた。
 彼女は、この世界の迫りくる熱的崩壊の危機を、果たして知っていたのだったか……グレフはそう記憶をたどりつつ自問しながら、霊機文明の生き残りである導師たちのなかで、ひときわ光を浴びる存在である彼女のことを思い浮かべていた。街を襲う憑き物を、両拳にまとった霊的力場で叩き伏せて一掃し、街を危険から守りながら、同時に獲物として、ただでさえ乏しい食料の一助として獲得する。街の人々にとって、何と受け入れやすい、光として崇めるにふさわしい導師であろうか。そしてまた……彼女の類まれな美しさが、人々に自然と好意を向けられる要素として存在していた。彼女は、実に美しかった。その美貌、全身の肢体の絶妙な曲線、やわらかくて滑らかそうな白い素肌、白銀色のさらりとした長い髪、豊満な両胸に、長くてかたちのよい美脚……とても、憑き物らと格闘して拳を叩きつけ屠ることを生業としているとは思えないほどだった。だがそれも、導師としての血筋が彼女にそうさせるのであり、彼女は自らの容姿などとは無関係に、幼いころからその職務の腕を磨くことにいそしんできたのだった。グレフも同じ導師として、幾度か、多くの言葉は交わさないまでも、集いの場に同席したことはあった。その時すでに、彼女のあまりにも目を引く美しさに見惚れ、密かに想いを寄せていたものの、彼女の存在は導師たちのなかでも高嶺の花といえるもので、つまり人気が高かったのである。闇の導師の烙印のあるグレフは、おいそれと彼女に声をかける機会もないまま、街外れの居住区にこもり、自らの降霊術をひたすら磨き続けて今に至る。闇の操霊術の使い手として、何度も、自らの力を、その暴走を、力に取り込まれて自我を失うことを恐れ、その都度、おぼろげに、憧れているティタの姿を脳裏に思い描いては、彼女の両腕に温かく包まれる自分自身を夢想し、どこか救われたような哀しい錯覚を覚えたりもしていた。

 その夜、ティタの、滑らかな淡い白銀色の長い髪を両手で弄ぶ夢を見て、唐突に、薬品のにおいの鼻につく、いつもと何も変わらない居住区の自室で目覚めたグレフは、あるひとつの決意を胸に起き上がると、いそいそと身支度を始めた。昨日の実験があえなく失敗に終わったことにより、若干の暴挙も許されるという自暴自棄の心境になっていたのかもしれなかった。

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