第一章 デイドリーマー

 暗い地下道のなかを、かすかな光がゆらゆらと揺れ動いていた。
 人影が二人、走っている。手にランタンのような明かりを持った、小柄な男を先頭にして。水路の水しぶきを盛大に蹴散らしながら。ラフな格好だ。足取りは軽く、おおよそ人が出せるようなスピードを超えていた。そこらじゅうに転がる大小さまざまの障害物をまるで意にも介さず、素早く地を蹴る両足には、それぞれふたつのローラーが装備されている。最新型の電磁式加速シューズだ。
 背後から追いすがるのは、黒に近いほど濃いグレーの戦闘服で全身を覆い尽くした、屈強な体つきの男が四人。顔面はフルフェイスのガードで覆われていて、表情などはまったくうかがえない。だが、標的を徹底的に追跡しようという強い執念が、その機敏な動作から感じられた。
 追われる側の二人のうち後方の男が、手にした物体を何気なく投げ捨てるのが見えた。四人は一瞬で散開して回避行動を取る。だが、遅かった。地下道の壁面にぶつかった特殊閃光弾が炸裂し、強い光と電磁波が、追っ手たちの全身に仕込まれた精密な追跡センサー網をずたずたに焼き切る。一人がつまづいて前のめりに倒れ、もう一人が痛みをこらえるように思わず顔面を押さえながらひっくり返った。逃走者たちは、そんな彼らを尻目にさらに急加速すると、一目散にその場から遠ざかっていった。

「どうだ、撒いたか?」
 身体を振って横に重心を流すような独特の動きで静止し、物陰で身をかがめると、リーは、先行して走っていた男にそう声を掛ける。さすがに息が乱れていた。中肉中背の彼に比べて、目の前の男は細身で、二人が並んで立つと、その小柄で人形のようなアンバランスな体躯がより際立つのだった。
「当然ですよ。この道でバッチリです」
 そう、自慢げに返答すると、ファントムは手に持った明かりの発生源を大事そうに掲げてみせた。取っ手のついた水筒にも似た金属製の円筒形の物体が、ゆるやかに光を放ち、周囲の景色をぼんやりと浮かび上がらせている。
「ひゅーっ! 今回はさすがにヤバイかと思ったぜ。見たか? 奴らのあの慌てぶりをよ」
 安堵の声色でそう言いながらも、リーは背後の真っ暗な空間をじっと凝視し、さらに耳まで澄ませながら、追っ手の姿と気配が完全に消えたことを念入りに確認した。ムーンテック社謹製の、最新鋭の対人閃光弾の直撃を食らわせておいたとはいえ、油断は禁物だ。何しろ今は、「絶対に失ってはならない貴重品」を運搬しているのだから。
 地面に膝をついて、円筒形の物体の上部に組み込まれた、入出力端末とセットになった画面を引き起こし、流れるような指運びでキーを叩き込んでいるファントムの横から、リーも同じ画面を見る。滝のような速さで下から上に流れ飛んていく文字列を認識し、システムの無事を確認すると、ほっと息をついた。
「アジトなんてもんは、これさえありゃいくらでも建てなおせるんだよ。馬鹿が」
 そう吐き捨てるようにつぶやく。ファントムが顔を上げると、にっこりと微笑んだ。
「デイドリーマーは不滅ですよね?」
「ああ。ったりめーだろ」
 ちくちくとした短髪の頭に手を乗せ、髪の毛をかき回してやりながら、リーは、思う。なぜ、今になって急に、武装隊の急襲が? 公安が持っていた探索装置の世代が、たまたまこちらの迎撃装備に劣っていたからよかったものの。それに再建が可能とはいえ、いくら何でも研究所を一から再稼働させるコストだって馬鹿にならないんだよ。これまでは、単なる、露骨な嫌がらせ程度に止まっていたのに。
 だが……今はよしとしよう。リーは目を細めた。ファントムの類まれな暗視能力もあって、こうして首尾よく追っ手を撒けたのだから。彼自身が長い年月を掛けて積み上げてきた施設の心臓部も、無事に持ち出すことができた。リーは、胸中に、安堵と懐疑と苛立ちが、交互に交錯しては消え、また浮かぶのに任せていた。頭上の、真夜中の街から染みこんできた雨水のなれの果てが、ぽたぽたと水路に落ちていった。

 セントラルシティの、都会的で洗練された街並みのなかを、リーは背中を丸めながら足早に歩いていた。道がひどく混雑している。名にしおう「カグヤプロジェクト」の定例総会が開催されるとあって、関係者を始め、見物客にマスコミ連中、金のにおいに敏感な政界、財界の人間などがうようよしているのだ。普段にも増して人混みに忌避感を覚えるのをこらえながら、リーは、倉庫から引っ張り出してきた、ろくに着慣れてもいない一張羅のしわを気にしつつ歩を進めた。
 何しろ大規模なイベントだ。他人が歩いているのを追っていくだけで、道筋は分かるというものだ。リーは一刻でも早く済ませて帰りたいという思いを込めながら、早足のしかめっ面で、目当ての建物に近付いていった。すると、正面の入り口前に陣取っていた厄介な集団の一人が、運悪く彼に気付いて顔を上げた。
「おい、あれ」
 リーは舌打ちとともに顔を背ける。だが、相手は喜々として周囲の面子の袖を叩きながら、下卑た笑みを浮かべつつわらわらと近付いてきた。覚悟を決めるしかない。マスコミは、どこにでもいるんだから。
「デイドリーマーの開発者、リー・ロージュン氏ですね。いよいよあなたも、カグヤプロジェクトの総会へご出席ですか!」
 どっと笑い声が起きる。リーを取り囲むように、だらしない格好をした集団が、五、六人。なかには、時代錯誤にも煙草などくわえた輩までいる。きっと頭がおかしいのだろう。
「何だよ。俺だって出席するさ」
 それでも、リーが細い鎖を掴んで、胸ポケットから「ティアストーン」を引っ張り出すと、からかうような笑みを浮かべていたマスコミたちは、素早く真面目な表情を取り繕った。透明なクリスタルでできたメダルだ。小さいものだが相当な重厚感があり、きらきらと光を反射して輝いている。この街では特別な価値を持つ、プロジェクトリーダーの証だった。
「呼び出されたんで応じただけだ。この手の集まりには興味もねぇが、何しろ無碍に断るわけにもいかねーだろ。後で何されるか分かったもんじゃねぇからな」
 リーが素っ気なく吐き捨てるように言うそばから、マスコミたちは、手元の記録装置を慌ただしく操作し、一心不乱に、ただのひとつの情報も記録し漏らすまいとする。リーは、常にせわしない彼らの前に立ってしゃべるのが、人生のなかで特に嫌いなことのひとつだった。筆頭クラスともいっていい。だが……。
「お前たちも知ってるとおり。俺が大嫌いなのは、何といってもカグヤプロジェクトよ。火星に植民だぁ? 馬鹿いってんじゃねー。この星にはまだまだ、すてきな夢が溢れてるんだぜ」
「なーるほど。さすがは、デイドリーマーの開発者らしいコメントですね」
「火星ごときにうつつを抜かすなんざ、ホンマもんの馬鹿のすることさ。じゃ、これで」
 最初にリーをめざとく見付けた男が、もう一声、とばかりに引き留めようと道を塞いでくるのを、リーは忌々しげに見やると、彼らを手荒く押しのけて会場の入り口のなかに突進した。それ以上余計なことを聞くな、というはっきりとした態度に、マスコミたちはたじろいだ。彼が一応はティアストーンの所持者であり、れっきとした取材対象である以上、それ以上どうすることもできないのだった。

「ふーやれやれ。のっけからこれかよ」
 まるで獲物にたかるカラスのような彼らの視界から何とか無事逃れると、リーはため息を漏らした。広々とした建物の内側は、二階部分まで吹き抜けの構造で、見上げるほど高い天井からは豪華なシャンデリアがどんと垂れ下がっている。いかにも、金持ちや権力者が好きそうな、レトロで民族意匠的なデザインだ。何とまあ、流行もセンスもへったくれもない内装である。その豪華絢爛とした、まばゆい光に満ち満ちたフロアでは、この日のためにと特別にめかし込んだプロジェクト関係者や招待客たちがひしめいていた。小うるさくてみすぼらしいマスコミ連中が表に閉め出されているところだけは、主催者の心意気を評価できるというものだ。
 集まっている客層は、普段、リーのような人間が会ったことのない者たちばかりだったので、彼は少しだけ安堵した。それもそうだ。この場は、かしこくも権威ある「カグヤプロジェクト」の定例総会なのだから。リーのような、世間から異端とされ、予算削減の末、ニュースからもフェードアウトしかかっているような末端プロジェクトの研究者のことなど、わざわざ名前を覚えているわけもなく。この華やかな場で気にとめたりなどするはずもなかった。
 ティアストーン所持者といえども、プロジェクト間の熾烈な競争が都市経済の中枢を動かしているセントラルシティにおいて、いわゆる持てる者と、持たざる者の扱いの差は歴然としているといえよう。リーはむしろ、周囲からの無関心を心地よく感じていた。
 ふと、フロアが騒がしくなった。見ると、思わず目を惹くような出で立ちの、一人の長身で美麗な男性が、いかにも今風といった感じの小洒落た長い帽子を手に取って、眼前の令嬢に、うやうやしく礼をしているところだった。その堂々とした優雅な身のこなしに、会場のそこかしこから若い女性参加者の歓声が上がる。リーは、その男の印象を特に明確なものにしている美貌を羨んだ。
「俺も、帽子でも被ってくりゃあよかったかな……」
 わざわざ安くもない会費まで取られて、恥をかきにきたのだろうか。だが、こんな日に被るための帽子など、普段研究所に籠もりきりの彼が持っているはずもない。さりとて、わざわざそのためだけに買うのもしゃくな話なのである。
「カグヤ様には、相変わらずご機嫌麗しく。グラン・ロンドでございます」
 仏頂面のリーを尻目に、グランがその美貌をほころばせながら、カグヤに微笑んだ。
「お噂はかねがねうかがっております。この度は我が総会へようこそお越しくださいました」
 そう優雅に返答するカグヤ・アカツキ嬢の笑顔も、負けず劣らずなかなか大したものだと、リーはまず思った。やだねー、美男美女のカップルって。ああ、一刻も早く帰りたい。その内心の思いとは裏腹に、カグヤとグランのとりとめのない世間話は終わる気配もなく続いていく。まるで、スローモーションで再生されている地獄のようだ。だがその時……リーはふと、目の前で上機嫌でしゃべっている長身の美男子に対して、プロジェクトリーダーであるはずのカグヤが、この場の光景から本来なら想像できるほどの、心からの笑顔を浮かべていないような……そう、まるでどこか上の空の儀礼的な表情であるような印象を受けた。
「……はい。それではぜひ、次のステージへはご招待させていただきたく。お忙しいとうかがっておりましたのでご招待が遅れましたが。ははは。それでは」
 全身を、スタイリッシュな有名デザイナー謹製の高価な衣装で固めたグランが、ふわりとカグヤの右手を取ると、ひざまづいてその甲に口づけをする。グラン様! と、甲高い悲鳴がわき起こった。
「けっ」
 リーが思わず、つぶやく。彼は、嫌いなのだ。このような、極度に社交的な、男女の出会いをことさらに演出するためにわざわざ用意されたような場が。いかに、プロジェクトのためとはいえ、これは……我慢の限界を超えている。だが、何と事態はさらに悪化した。彼が放った、異質な苛立ちの気配に若干ざわめいた周囲の参加者の挙動で、リーの存在に初めて気付いたカグヤが、何と、こちらに近付いてくるではないか。一瞬、目が合ってしまう。何も期待などしていないのに、心臓の鼓動が高鳴るのを感じて、リーはすぐに目を反らした。だから、美女は苦手なんだよ。カグヤがゆっくりと近付いてくる。視界の隅に、彼女の、ひとつに束ねられた長くてきれいな髪が見え、若々しい肢体の線を魅惑的に見せつける優雅なワンピースの裾が翻り、しまいには、えもいわれぬいいかおりまでしてくる。動転して、思わず手に汗が浮かぶのを感じた。ええい、もうどうにでもなれ。
「こんにちは。お待ちしておりましたわ。あなたが、デイドリーマーの……」
「リーと申します。よろしく」
 やわらかい微笑みを浮かべているカグヤ嬢の言葉に、あえて被せるようにして、リーが短く淡々と自己紹介した。場にそぐわない素っ気なさに、どうしたのかとざわめきが広がっていく。客たちが、訝しげな視線を交わし合う。もう、あと少しの、辛抱だ。リーは、あらかじめ用意していた台詞を、ゆっくりと口から滑らせていった。
「このような優雅なプロジェクトへお招きいただき恐縮です。本日はカグヤ様に、特別な余興をご用意させていただきました」
 彼が一息にそう述べると、いったい誰だろうとばかりに不審そうにしていた周囲の人間たちは、ようやく落ち着きを取り戻したようだ。誰もが、興味深そうな表情を浮かべる。
「特別な? それは楽しみですね!」
 にっこりと快活な笑みを浮かべて、カグヤが明るい期待の声を上げる。リーは、彼女に気付かれないよう、にやりと口元を歪ませた。
「ええ、それはもう。何しろ、この私にしかできないことですから。ちょいと失礼」
 彼が慇懃に身をかがめながら、あくまで真面目な声色で言いつつカグヤに近付くと、二人の周囲を囲んでいた観客も、その動きに合わせるようにして視線を移動させる。次の瞬間、まるでつむじ風のように素早く、リーが動いた。
「そりゃっ!」
 その場の誰もが予想しない角度でリーの身体と右手がしなり、カグヤのロングワンピースの裾を引っ掴むと、猛烈なスピードで、高い天井に届けとばかりに振り上げるのを……その場の誰もが、どうすることもできずに呆然と見送った。熟練の手つきなのか、何なのか、確かにその瞬間、カグヤの長くてきれいな両脚も、その付け根も、レースの編み込まれたかわいらしいデザインの下着も……すべてが、居合わせた参加者たちの眼前にまじまじと晒されたのだ。
 ひと仕事終わったな。自らの華麗な手並みにうっとりしつつ、その長い一瞬に、それでもリーは、カグヤの生足を手土産とばかりに目に刻もうと視線を動かした。期待したとおりの美しい脚だ。だが、次の瞬間、彼は、耳が破れんばかりの衝撃を左から受け、ぐらりと身体がかしぐのを感じた。カグヤが、怒りを顔に浮かべながら猛烈な勢いで大ぶりの平手打ちを放ったのだ。その、おおよそ、お嬢様扱いされて育ったような立ち位置の彼女からは想像しづらかった重たい一撃に、リーは文字通り衝撃を受けた。
「ちょっとぉ。何するのよ!」
 周囲に、場違いなカグヤの怒声が響く。
「こりゃ、失礼……ほんの余興のつもりが。んじゃさいならっ!」
 周囲に向けて、素早く一礼をぶん投げるのと同時に、リーはその場を脱兎のごとく逃げ出していた。我に返った参加者たちの罵声と怒号を背にして。すぐに靴底に意識を向けて電磁ローラーを稼働させると、背後の声がさらに遠くなっていった。
「馬鹿な! あのろくでなしが」
「誰だあれはっ。二度と呼ぶな!」
 入り口付近にまだ溜まっていたマスコミ連中の人垣を、急加速しつつ一気に突き抜けると、リーは、にやにやとした笑みを浮かべながら、風を切って大通りを走り抜けた。
「へへっ。こりゃーいいや」
 脳裏で、一瞬のあいだに堪能した彼女の見事な脚線美と、それ以上に彼を驚かせた、お嬢様であるはずの彼女が見せた、思いもよらぬ反撃の感触を何度も再生する。それを楽しみながらも、リーは、隠しがたい疑問が浮かぶのを感じていた。あの「彼女」は、いったい全体、何なんだ……?

 セントラルシティから小一時間は離れた郊外にある、雑居ビルに見えるよう厳重に隠蔽した小さな研究所のドアを開け、入り、素早く閉め、鍵を掛けると、リーはどっと肩を落としてため息を吐いた。
「お帰りなさい。どうでした、例の集まりは」
 部屋中を縦横無尽に這いまわる色とりどりのケーブルや雑多な機材、ガラクタのなかに埋もれるようにして置かれた小さなデスクセットに座ったまま、ファントムが顔を上げて聞いてくる。
「上々。いい土産もあるぜ」
「へぇ。あれほど嫌がってたのに? マスターも気まぐれですね」
「まぁな」
 何から話したらいいだろうと思いながら、自分の座席に素早く潜り込み、デイドリーマーの管理者専用端末を起動する。彼自身が開発した、脳内の思念や願望、つまり「夢」そのものを、仮想イメージ情報として入出力できる、大ぶりのヘッドフォン型の装置を装着すると、対象となる光景を思い返しながら再生し、登録していった。
「ほっほぅ!」
「なかなかいけるだろ」
 早速とばかりに、リーが登録した斬新な視覚情報に簡易リンクしたファントムが、思わず背筋をピンと伸ばす勢いで驚嘆しているのを見て、リーは、やっと、本来の自分の居場所に戻ったのを感じた。



「こ、これは……」
 思わず左頬をさする仕草をしながら、ファントムが、恍惚とした、それでいてにやりとしたような曖昧な表情を浮かべる。
「警戒を厳にしろ。俺は寝る。調整は任せた」
「了解です、マスター。にしてもこりゃ、爆アゲですよ。間違いないです!」
「苦労した甲斐があったな」
 そんな含み笑いを押し隠したようなやり取りを残して、リーは端末のキーを目にも止まらぬ速さで操作する。座っていた椅子が自動でリクライニングし、周囲の床からロボットアームによってせり上げられた板状の何枚ものパーツが、重厚な棺のようにぴったりと合わさって座席を覆った。リーの姿は外部から完全に遮蔽された。前方にぐいぐいと吸い込まれるような、目眩とも眠気とも落下ともつかないお馴染みの感覚を感じながら、リーはそっと目を閉じる。視界が徐々に暗転していった。

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